常設展示場
常設展示場では、伝統的工芸品である「播州そろばん」を始めとし、木工芸品、鎌、家庭刃物など、各種の小野の特産品を紹介しています。
特に昭和51年に国の伝統的工芸品に指定された「播州そろばん」は、長年にわたって培われた優秀な技術で製作されており、使いやすさに加えて美しさも持った工芸品としての価値も備えています。伝統工芸士がつくる逸品を是非ご覧ください。
ほかに、そろばん玉でできた姫路城や御神輿なども展示してあります。また実際にそろばんの枠に玉を入れる玉入れ体験もできます。
播州そろばんの歴史
元々そろばんは中国から伝来したものとされており、室町末期の対明貿易によって日本にもたらされたものだとされています。大津片岡家の記録によれば、「慶長17年(1612年)明人長崎に来る者算盤を携帯す。この時先祖庄兵衛長崎奉行長谷川左衛門に付属して同所に出張し在りにし。明人に就いて算盤製造法を授かり、帰郷の後、製造して幕府に献す」と明確にその伝来の由来を語っています。
播州そろばんの発祥は、天正年間羽柴(豊臣)秀吉が播州三木城攻略の際、三木の住民がその戦乱を逃れるために各地に四散しましたが、そのうち大津に避難した者が大津そろばんの製造技術を習得し、慶長年間に三木へ帰りそろばんの製造を始めた(加東郡史)と一般に言われています。その他、摂津長浜(堺)伝承説や長崎伝承説もありますが、明確ではありません。
小野には、天保年間に三木の久留美・大村のそろばん製造元の下請けとしてそろばん珠の製造が始まり、農家の副業として市内に広まりました。日清戦争後、水車の動力による大川式製珠機が開発され、従来の手廻し轆轤(ろくろ)の製造から自動化されたことで、市内古川町を中心として急激に珠の生産が拡大しました。また明治5年に学制公布により、国民皆学が始まったことから「読み・書き・そろばん」といわれたように計算の道具として教育現場でも急速に需要が拡大しました。
昭和35年には製造の最盛期を迎え、年間360万丁の生産が行われ、昭和51年には伝統工芸品の認証も受けています。その後、電卓の普及に伴い需要が減少し、現在では15万丁の生産量となっています
- 主として日常生活の用に供されるもの
- その製造過程の主要部分が手工業的
- 伝統的な技術又は技法により製造されるもの
- 伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの
- 一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの
上記5つの項目を全て満たし、伝統的工芸品産業の振興に関する法律(昭和49年法律第57号、以下「伝産法」という)に基づく経済産業大臣の指定を受けた工芸品のことをいいます。(※経済産業省サイトより)